大谷翔平Mmemory
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大リーグ デビュー(2018年エンジェルス)  





















2017年オフにポスティングでエンゼルス移籍。2018年ア・リーグ新人王。10月に右肘のトミー・ジョン手術を受ける。
2019年は打者のみの出場で6月に日本人初のサイクル安打達成。9月に左膝を手術。2020年は二刀流復活も投手では未勝利。
2021年オールスター初選出、史上初のDH・投手で先発。前日のホームランダービーにも日本人選手として初出場。投手として9勝、打者として46本塁打、100打点でア・リーグMVPに満票で選出された。
2022年は投手として15勝、防御率2.33、219奪三振。打者として打率2割7分3厘、34本塁打、95打点で、史上初の投打ダブル規定到達を果たした。
2023年はまずWBCで侍ジャパンを3大会ぶり3度目の世界一に導いた。エンゼルス最終年となった同シーズンは、メジャー史上初の2年連続「2桁勝利(10勝5敗&2桁本塁打(44本)」を達成。 右肘靱帯損傷や右脇腹痛の炎症で9月に残り試合出場を断念も、日本人初の本塁打王を獲得、満票でア・リーグMVPにも選出された。打者の最高栄誉のハンク・アーロン賞も日本人で初受賞した。 12月にはドジャース移籍を決断。契約金は10年7億ドル(当時レートで約1015億円)。

ドジャースへ移籍(2024年ドジャース)
2024年の移籍1年目は打者で出場。真美子さんとの結婚発表、元通訳との離別、前人未踏の「50-50(50本塁打、50盗塁)」達成など激動のシーズンとなった。 メジャー7年目で初のポストシーズンにも進出し、悲願の世界一を達成。史上最多を更新する3度目の満票で2年連続となるMVPを受賞した。


北海道日本ハムキャンプ名護球場にて
 日本ハムがキャンプをしている名護球場は飼い主の家から歩いて15分の所にあり、良く練習や他チームとの試合を見にいっている。 また飼い主は名護球場の前で駐車場整理のアルバイトをしており、前を通る選手(球場の前のホテルに選手が泊っており球場へ歩いて 行き来する)を目の前でみる事が 出来る。



名護球場での日本ハムの練習試合



2019年 名護キャンプの選手イラスト横で
 


2016年 名護キャンプの選手イラスト(名護ユガフィンホテル)


2016年 名護キャンプの選手イラスト横で

 


2012年 名護キャンプの選手イラスト(名護ユガフィンホテル)

大谷選手の打撃フォーム (2016年 名護球場 新谷寿美枝 撮影)  










大谷選手の投球フォーム (2016年 名護球場 新谷寿美枝 撮影)









   


大谷選手のサインボール


日本ハム選手の帽子へのサイン

2012年ドラフトで日本ハムが1位指名。2016年クライマックスシリーズで日本プロ野球最速の165キロを記録。2015年に最多勝、最優秀防御率、最高勝率。 2015、2016年ベストナイン(2915年は投手、2816年は投手と指名打者)。2916年パ・リーグ最優秀選手。。

中・高校生時代 (水沢南中・花巻東高)
岩手・姉体小2から水沢リトルで野球を始める。水沢南中では一関シニア。花巻東高では1年春から4番。1年秋からエース。 甲子園には2年夏、3年春の2度出場。高校通算56本塁打。3年夏に高校生最速(当時)160キロをマーク。

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